2014年10月07日
『 返り花愛はいつでも共に在る 』回想瘋癲老仁妄句29-05
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★ 回想瘋癲老仁妄句29-05zck0305tp0705
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返り花愛はいつでも共に在る
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返り花愛はいつでも共に在る
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小春日和には、いろいろの花が、返り咲きをします。
今年は台風や、異常気象で、時期もいろいろでした。
庭のヒメリンゴなどは、三度も花を咲かせてくれました。
返り花を、前は、狂い花とも言っていましたけれど、今は、使わないようです。
「狂」の字に差別的な色合いが濃いらしいのです。
でも、世の中、いよいよ、おかしくなっていきますね・・・いよいよ狂っていくようです。政治屋さんたちも狂っていますよね・・・そんな風に使っていますけれど。
老仁も、今、すこし、妄詩に狂っているようです。
恋に狂った方がまだいいでしょうに・・・
そんな力はありません。
念じて、一休さんの真似をしたいと思いはしますけれど、恋に狂うには知恵と力が要るんですね。・・・どんな力と知恵がいるのか、実はわかっていないのです。
一休さんを、本気で知れば、本気で真似すれば、その知恵と力を手に入れることができるのでしょうね・・・
<本気>になることが、まず、むずかしい。
けれど、恋も愛も、人間的な、あまりにも人間的な情念だとも思われます。
この情念を超えたところに、一休さんはいるのでしょうか・・・
それとも、やはり、人間的すぎる情念のままを生きたのでしょうか・・・
空即是色する人は煩悩のままを生き抜くのでしょうか・・・
煩悩を超克するのでしょうか・・・
親鸞さんが、聖徳太子の化身と寝たという意味を、老仁は、まだ、理解できないでいます。
花が咲くのは、自然の営みであり、季節が花を咲かせるのですけれど、それは情緒的な季節ではなく、温度とか湿度とかの即物的な条件なのですよね。遺伝子の命令なのでしょうね。だから小春日なんですね。
愛は不仁。
起こるときに起こるものなのでしょうね。
起こるということは、形を為すということなんでしょう。
形を為した愛は、また、形を失う。
形になる前の愛も、形を失った後の愛も、
愛に変わりはないのですね。
はじめに愛ありき、なんですね。
一休さんの情愛は、現れてもよかったし、現れなくてもよかったのでしょうか・・・
親鸞さんの情愛は、遺伝子の命令を受容したのでしょうか・・・
愛は、不仁。
無為自然の流れの中で、求めても、求めなくても、享受できるものとして・・・愛は在るのだと感じるのですけれど・・・
花と共に在るように、
人とも、共に在ることができる。
水のように、
風のように、
光のように、
いつでも、共に在るもの、
それが・・・愛。
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